知の孤児

 前日は10時前に寝て、朝は9時近くまで寝ていたので、睡眠は十分すぎるほど十分なのに、夕方にまた寝てしまうという、一日の大半を寝て暮らすような日があるものです。今日は昼にジョギングしたのと、夕食を妻と外食したのを除けば、部屋から出ずに本ばかり読んでいました。
 人から勧められて、あるいはやむをえずして、興味のあまりなかった分野の本、興味どころか自分の中に引き出しすらついていない本を読むことがあります。読み始めるまではおっくうなこともありますが、大抵は自分に有用なので、積極的に読むことにしています。

写真でわかる謎への旅 イースター島

写真でわかる謎への旅 イースター島

 僕が読んだのは、「王様出版」というところから出ている旧版のようですが、内容は同じでしょう。
イースター島の謎 (「知の再発見」双書)

イースター島の謎 (「知の再発見」双書)

 イースター島のモアイというと、「グラディウス」というゲームを思い出します。モアイが空を飛びながら、口から輪のようなビームを出してくるのです。また、小さい頃の写真にモアイと一緒に写っている写真があり、モアイ展のようなものが日本であったのだろうと思います。したがって(?)イースター島には人が住んでおらず、モアイがたくさん並んで立っていて、しかも悠か古代に作られ、(エジプトのピラミッドとか、チグリス・ユーフラテス辺りの遺跡とかと同年代の)今はうち捨てられ、宇宙人とかが作ったのではないかとマコトシヤカに語られている……それが僕のイメージでした。この本を読んで、そういう僕のイメージが全く誤りであることに気づかされるわけです。イースター島には人がもちろん住んでいるし、観光業が盛んで、日本や西欧諸国から万を超える観光客があり、アメリカのNASAスペースシャトルの着陸地にする計画をしていたので、馬鹿でかい飛行場があり、しかしとても暇なところで、10代の出産が社会問題になっているらしいということも分かりました。また、モアイが作られたのはだいたい日本で言うと平安時代くらいで、18世紀にヨーロッパ人が「発見」し、南米のインカ帝国や何かと同じく、略奪され、西洋人の持ち込んだ疫病で苦しみ、拉致されて奴隷にされ、女が慰み物になり、性病が蔓延し、仕上げに宣教師がやってきて、キリスト教に改宗するというコースを歩んだようです。現在はスペインから独立したチリ領で、公用語スペイン語、現地のラパヌイ語は若い世代からは消えつつある。興味深かったのは、イースター島はもともと椰子の木が茂る森林で、森が豊かな土壌をたくわえていたものが、森林の伐採によって土壌が流出し、人口の増加に伴い(島の大きさが佐渡が島の1/4くらいしかないのに、人口が2万人を超えたという)深刻な食糧不足に陥って、戦争が起こり、ボロボロになったところを西洋人に「発見」されたらしいということです。そういうわけで、現在も食糧など必要な物資はチリから定期便で運ぶそうですが、森林伐採と人口増加と食糧不足って、現在にも通じるキーワードですね。
古文研究法

古文研究法

 初版は1955年ですが、2008年に改訂版が出されるという、すばらしく息の長い書籍です。それだけ内容が優れているということですね。大学入試を目指す高校生向けに書かれた本ですが、なかなか高度な内容です(実際70%の理解であっても大学入試レベルであったら、お釣りが来る内容と小西氏が述べておられる)。これがちゃんと理解でき、教授できるレベルの高校教師に古文を習うなら、大学入試レベルならまあ、楽勝でしょう。
 これを読みながら、自分の知識は中世・近世がスコっと抜けているなあと改めて思わされます。知識もさることながら、感覚が抜け落ちています。『源氏物語』なんかは『枕草子』『伊勢物語』『古今和歌集』など、同じような世界観を持った、つまり平安貴族社会の通念や社会常識をもった作品をある程度読み込んでいるから、まあわかります。しかし中世から近世の連歌俳諧、能、狂言謡曲、歌舞伎、戯作文学などはほとんどお手上げです。読んだこともない作品が多いし、そこに出てくる言葉の意味(辞書的な意味というより、語感)も分からないし、舞台芸術に関してはほとんど見たことがないし、感動するところまではいきません。
 感動する云々というと、これは平安時代でも同じで、雅楽に感動するかと言われると、まあ感動しない、というかほとんど聞いたことがない。ところが西洋のクラシック音楽にはとても感動するし、NHK−FMで、「邦楽の時間」は全く聞かないが、「ベストオブクラシック」は聞く。漢文は好きで結構読んだけれど、漢詩を自分で作る文化はない。押韻は分かるけれど、平仄を説明しろと言われたら降参である。江戸時代からそのまま接続して明治時代に生活していた漱石や鴎外なんかは俳句、和歌、漢詩を自分で作り、歌舞伎、狂言を楽しむ。その上で、西洋文化を吸収していく。ところがいつのまにか、その江戸以前の文化は消え去って、西洋文化ばかりを吸収していくようになる。
 そしてこの21世紀に34歳を迎える僕のような、文化的孤児のような中途半端な人間ができあげるのでしょう。この状態にときどき僕は非常にやりきれないものを感じます。