8割の人は自分の声が嫌い 心に届く声、伝わる声

声には以前より関心がある。大学時代には合唱をしていて、指導者が声楽専門の方だったこともあり、主に発声の訓練に時間を割いて練習をした。個人レッスンも無料で行ってくださり、今から考えると非常に貴重な体験だった。今自分が同じ訓練を受けるとしたら、かなり高額なレッスン代を払わなければならないだろう。
 発声の練習では自分が自分で聞いている声(「骨導音」というらしい。この本で知った)と他人が聞いている声(「気導音」という)が違うということを知らなくてはならない。また「良い」発声とは、正しい指導者が「良い」と判断したものである。合唱における発声は西洋音楽式の発声である。特に私が歌っていたのは、主に聖歌であり、新しくてもシューベルトくらいまでの古い音楽だったので、なおさらそうだ。その時代の音楽を奏でるのにふさわしい声を、その道の専門家に聞いてもらい、「良い」と判断してもらった瞬間の声を記憶するのである。さらに記憶するのは声質だけではなく、その時の喉の使い方、声の当て所、身体の姿勢、立ち姿、顔の筋肉の様子などすべて記憶しなければならない。さらに自分の内側で鳴っている音、つまり骨導音を覚えておく。この骨導音が鳴っている時、気導音はこう鳴っているという運動の回路を作り上げるわけだ。これが無意識のレベルになるまで繰り返し練習し、時々専門家にチェックしてもらう。そうしないと知らないうちに我流の発声になってしまうからだ。
 さて、本書に書かれていることはこの私の体験を理論的に裏付けるものであり、理解が深まった。特に声のフェードバック効果は本書の白眉であろう。声を作っているのは聴覚と脳であるという理論である。筆者は認知心理学を学んでおり、そこここになるほどと思わせる記述がある。自分の本当の声、筆者はオーセンティック・ヴォイス(真実性のある声)と呼んでいるが、自分の声を取りもどす作業は、自分の歪んだ認知を正常な形に戻してゆく自己治癒の試みであると考えることができる。これは心理療法に近いのではないだろうかと読みながら思った。心理療法ではカウンセラーが「これが正しい心のあり方です」などと「答え」を示すのではないだろう。クライアントの話を傾聴し、カウンセラーとクライアントとの関係性の中で治癒が起こってくるのであろう。それは無意識の領域で起こっていることも多く、いわば無意識というブラックボックスに放り込んでしばらくそちらに仕事をさせておくという状態だろう。そう考えると筆者が録音して自分の声を何度も聞き、その声といわば「和解」していくことで嫌いだった自分の声が自分にとって好きな声になっていくこともよく理解できる。録音した自分の声を聞くとは、他者の他者である自己を知るということだろう。
 人は鏡を見て自分の姿をチェックする。あるいは他者の表情などを見て、自分の姿がおかしくないかチェックする。筆者が何度も言及しているが、見た目に対してこんなに気を遣っているのに、声に全然気を遣わないのは不思議なことである。本書には歴史上の「声」にまつわるエピソードがたくさん書かれている。たぶん読み物としてはここが一番面白い。ケネディニクソンに声で勝ったとか、イエス・キリストはよい声だったに違いないとか、洞窟の反響する声によって癒しが行われた古代の話とか、アメリカで研究されている声の分析による健康診断の試みとか、声を聞くだけでその人の経歴や姿格好、性格まで分かってしまうとか。
 声は無意識に働きかける効果があり、人心操作に使えるというのは本当だろう。戦争の時期には指導者の声は総じて高くなる傾向にあるとか。また、日本人の女性の声は先進国の中では最も高いそうだが、女性が自立する機運が高かった1990年代は声が低くなっていたとか。経済的な退潮が明らかとなり、保守的な傾向が高まった頃からまた声は高くなっているらしい。筆者はそれを社会の女性へのジェンダー意識の変化と結びつけているが、あり得る話である。声で「も」分かるのかという感じである。
 いろいろなネタが仕込んでいる本なのでなかなか面白いです。ちょっと文体が気に入らないのですが、自己啓発系の本という側面もあるのかもしれませんから、まあ目をつぶりましょう。