来るべき民主主義

 筆者が住んでいる東京都小平市鷹の台にある雑木林は付近の住民が憩いの場として大切にしている生活空間である。しかしそこに都道328号線が通るため、雑木林を切り倒すという話がやってくる。この地域には新設される予定の都道328号線に並行して府中街道が通っている。都は府中街道が渋滞するためとしているが、筆者の分析によれば、渋滞は緩和されており、府中街道の整備をすれば十分対応できる。何せこの都道328号線の建設計画は50年も前に作られたものなのである。なぜ今住んでいる地元住民がいらないと言っている道路計画一つ見直せないのか。筆者は地元ですでに始まっていた住民運動に参加する中で、民主主義の重大な欠陥を発見する。
 第三章で集中的に書かれている主権と立法権の問題についての解説は非常に分かりやすく、国民主権・民主主義の考え方がどこから生まれてきて、どのように変遷したのかがコンパクトにまとめられている。加えて筆者が具体的な目の前にある問題を扱っているために、議論は抽象的になりすぎず、私のような専門外の人間にもとても飲み込みやすい説明になっている。
 国民主権というときに、国民の権利の源泉は立法権にあると考えられている。しかし実際に政治を動かしているのは行政であり、議会ではない。実際には議会も国民の代表として国民のために働いているのか疑わしいが、少なくとも建前上はそうである。そこには国民の主権が働いているのである。しかし行政は選挙で選ばれた人ではなく、役人が動かしているのであり、そこに主権者たる国民が関わることはできない。この都道328号線は議会にかけられて成立して進められているのではなく、行政が作ろうと決めたら作れるのである。そこに主権たる住民は関与することはできない。筆者たちは小平市や東京都に何度もかけあったが、行政に市民が参加することは非常に難しいことを思い知らされる。何とか住民投票を実施するまでこぎつけるが、投票のひと月前になって投票率が50%以上にならなければ、不成立とするという縛りを懸けられてしまう。筆者は「後出しジャンケン」と言っているが、本当にこんなひどいことがあるのかと驚いた。筆者は住民投票についても詳しく調べ、合併がらみの住民投票以外の住民投票は、そもそも市民が請求しても議会で否決され実施されていないことを明らかにしている。主権者である住民(国民)が政治に参加するのは非常に難しいのである。
 本書の優れている点は、行政の横暴に対して怒りの声を挙げ、徹底糾弾せよという方向にはいかないところである。相手を糾弾するような運動は熱狂的なエネルギーはあるが持続するのは難しい。不安や不信感に基づくのではなく、肯定的なヴィジョンを持った運動こそ、多くの人に指示され持続可能な運動になると筆者は言う。この小平市の運動では、雑木林を守りたいという運動であり、「道路建設反対、行政の横暴を許すな」というような運動ではなかった。雑木林で定期的にイベントを行い、実際に多くの人に雑木林を見て貰う。そのことから運動が広がっていった。
 水俣病ほかあらゆる公害病関連の運動、米軍基地の運動、原発の運動、組合の運動など旧態依然とした「運動」が近年うまくいっていないように思う。それはなぜなのか、本書を読んでいく中でいくつかヒントがあったように思う。差別があれば、声を挙げるべきだ。不当な扱いには声を挙げるべきだ。しかしそのことの先に何を実現したいのか、どういう社会を実現したいのかそうしたヴィジョンなしにただ反対を唱えても人はついてこない。「正しい」ことを声高に主張すればいい時代はもうこないだろう。強かにさまざまな方法を駆使して多くの人々に参加してもらうことで、よりより民主主義がやってくるだろう。筆者は言う。民主主義には完成はない。いつでも民主主義は未来によりよい形でやってくる。題名の「来るべき民主主義」とはそういう意味であると。