いつ勉強しているのか。

「昭和」を送る

「昭和」を送る

 表題の「昭和」を送るをはじめ、新聞に連載したエッセイなど様々な文章を載せた本です。一つ一つが比較的短いのでちょこちょこ読みのにおすすめです。著者の中井久夫精神科医です。精神科医で小説家であったり、評論家であったりする人はたくさんいますが、本業も忙しいだろうにどうしてこんなに文章を書いたり読んだりできるのだろうと不思議になります。この本でもそうですが、端々に古今東西の古典の知識や芸術の知識が散見されて、教養の深さ広さに圧倒されます。今の時代でも知的エリートとはこういうものなのか、戦前生まれの知識人はやはり違うのだろうかとも思います。野竹邦弘先生という天才肌の先生の下で修行をしたというエピソードが「あとがき」出てきます。ちょっと引用してみます。
「私は、当時、天才的な人のことばを一般人にわかるように翻訳する人として『神主』と言われていた。」「先生の一句を理解するには古今の文献に通じていなければならず、また複雑なクロスワード・パズルを解くような読解力が必要だった」
 周りに引き立て、鍛えてくれる先輩がいて、またそれに応える弟子がいる。それは何と幸せなことだろうかとこの下りを読みながら思いました。
 表題の「昭和」を送るは、昭和天皇に捧げられた文章で、昭和天皇逝去の直後に書いたが、しばらく発表を見合わせておいたというものです。そこそこ長い文章で要約はできませんが、いくつかのエピソードを紹介します。生まれた時から目の前に大人が畏まって控えているような環境は、子どもの成育にどのような影響を与えうるか、緊張は相手に伝染する。身体がこわばり、甲高い声になる。昭和天皇の甲高い声、ぎくしゃくした歩き方などを思い出させるエピソードです。また、戦時中の人たちは天皇に父を重ねている人がたくさんいて、無意識下に心理的な影響があるという話が載っています。具体例として、敗戦時に満一歳に満たなかった人が、昭和六十三年九月二十に十二指腸潰瘍になり、平成元年一月十日に退院したという。これを単なる偶然ととるか、筆者のように考えるかは人それぞれと思いますが、どうも私には偶然とは思えません。また、多くの戦争体験者が天皇を無意識に「よい天皇」と「わるい天皇」にわけてしまっている話もあります。「激烈な反天皇論者が昭和天皇に会って、メロメロになった話」もあるといいます。筆者はこうした精神科医らしい見方の他に、皇太子の機能について詳しい解説を加えています。筆者は天皇を殺さずに生かしておいたことに、あの当時としてはやむを得ないという立場をとっています。「君側の奸」コンプレックスも面白い理論です。天皇は悪くない、周囲に天皇の意志を曲げている奸臣がいるのだという考えで、君主は徹底的に無垢な、純粋なものでなければならないとし、その君主に直接つながろうとする心理であるといいます。
他に、昭和天皇の戦争責任については、以下のように書いています。引用してみます。
昭和天皇は安んじてお休みなられてよいであろう。日本国民の中国、朝鮮(韓国)、アジア諸国に対する責任は、一人一人の責任が昭和天皇の責任と五十歩百歩である。私が戦時中食べた「外米」はベトナムに数十万の餓死者を出させた収奪物である。そして、明仁天皇は真先にそれを荷なおうとしておられるかにみえる。天皇の死後もはや昭和天皇に責任を帰して、国民は高枕ではおれない。われわれはアジアに対して「昭和天皇」である。問題は常にわれわれに帰る。」
 こんな風に紹介すると堅苦しい文章のようですが、そうでもないです。たとえば、
「言葉の伝達は意味そのものよりも抑揚や音調や調子合わせによるところが大きい。抑揚のないキンキン声の人の意見は通りにくい。そういう人は身ぶり手ぶりで補わねばならない。」
トップダウンはリーダーシップであるかのように思っているきらいがあるけれども、ただのトップダウンでは独裁である。リーダーシップというのは、そう単純なことではなく、おそらく七、八人のチームワークがうまくいったときにできるような、小集団現象だと私は思う。そういう小集団が形成されるかどうか、そして絶えず自分を新しくしていくことができるかどうかが、リーダーが成果を上げられるかどうかにつながる。」
 こういう含蓄に富んだ言葉がそここにちりばめられています。他にも紹介しませんでしたが、神戸の震災で様々な体験をしたこと、皇后陛下が陰で支えてくださっていたことなどがそれとなくほのめかしてあったり、あの震災でもまだまだ語られていないこと、驚異的なリーダーシップを発揮して、そのために短命になってしまった無名の人たちがたくさんいたことを思います。3・11についてはもっと先になって多くの語りが生まれてくるのだと思います。