人生を重ねるごとに面白い。

去来抄/三冊子/旅寝論 (岩波文庫 黄 208-1)

去来抄/三冊子/旅寝論 (岩波文庫 黄 208-1)

 『去来抄』『三冊子』は芭蕉俳諧を理解するために最適の書と言われています。『去来抄』は構成が『論語』に似ていてちょっと面白い。去来が芭蕉から聞いたことを弟子に伝えたり、直接去来が芭蕉から聞いた言葉を載せています。同じ俳諧を目指す師弟の芸術に妥協しない緊張感に満ちたやりとりがあったり、去来が師からほめられて得意げにしている様子が目に見えるような描写もあってなかなか面白い本です。特に面白かったところを一つ。
 じだらくに寝れば涼しき夕哉
 猿蓑撰の時、宗次一句の入集を願いて、数句吟じ来れど、取るべきなし。一夕、先師の「いざ、くつろぎ給へ。我も臥しなん」とのたまふに、宗次も「御ゆるし候へ。じだらくに居れば涼しく侍る」と申す。先師曰く「是、発句なり」と、今の句に作りて、「入集せよ」とのたまひけり。
 芭蕉は作為のある句を嫌い、自然に生まれ出る句を愛しました。ここでは「猿蓑」という句集に弟子が一句入れて欲しいと願っていくつか句を作ってきたが、よい句がなかったところ、普段のふとした言葉を芭蕉が捉えて、これが発句だと言ったという話です。芭蕉がいついかなる時も俳諧のことを忘れていないこと、弟子の句を入れてやろうと気に掛けていることが感じられて微笑ましいです。
 『三冊子』は服部土芳が書いた俳論書で、『去来抄』よりも論としてまとまった体裁を取っていて硬いです。「付け」とか実際の俳諧の方法が知られて興味深いです。また、いくつか「改作」が示されていて(『去来抄』にもある)、こっちの句よりこっちの方がいいということの理由が詳しく書かれていて、私のような者にも、何が「俳味」であるのかがよく分かります。理論をあれこれ読むよりもやはり実作を目にする方がよく分かります。この辺は『六百番歌合』と似たところがあります。これは藤原定家の判が詳しく、和歌の優劣がどの辺で決まるのか、つまり和歌の美とは何かがよく分かるのです。
 何にせよ、古典は年を重ねるごとに面白い。また、芸道を極めた人の言葉には聞くべき事があります。「プロフェッショナル仕事の流儀」と同じですね。