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明暗 (岩波文庫)

明暗 (岩波文庫)

 漱石の未完の大作、『明暗』です。私が読んで思ったのは、『こころ』で漱石の小説はできることをし尽くしたのだなという感じです。『道草』は自伝的な小説で、それまでの作品とは作風が異なります。『明暗』は『道草』に近い、文体のいい意味でのゆるさというか、堅苦しい感じがありません。『明暗』のそれまでの作品と違うなと感じるのは、「お延」という女性の心中表現が詳しく描かれていることです。『こころ』までの女性は、男性に観察され、解釈されている女性で、自分で何か考えを表明して行動する女性ではありませんでした。『三四郎』の美禰子にしても「お延」ほど自立して動いていません。
 また、『こころ』までの作中人物はみんな真面目で、真剣に語っています。特に『こころ』はその傾向が顕著です。それに比べて『道草』の細君は主人の言葉をほとんど理解しないし、まともに取り合っていません。『明暗』ではそれがもう一歩先に出て、真面目に語っている相手をすかしたり、不真面目なようで、真面目だったり、『こころ』ほど率直に語ったり、真面目に隠したりしません。「倫理」の枠組みがはめられているからでしょうか。『明暗』はそうした道徳や倫理の破壊者が出てきて、主人公の津田を翻弄します。津田とお延の「すもう」などはまだ『こころ』的で、技巧もそんなに込み入っていません。小林や吉川夫人、叔父などのくせ者が出てきて、不真面目なような真面目なような何ともいえない角度から入ってきます。この自在な筆運びは、本当に登場人物が生きている感じが表現されていて、ため息が出ます。それまでのわりに主張や考えがはっきりしていた漱石の小説が良くできた作り物に見えてきます。
 『明暗』があんなところで終わっているのは本当に残念です。岩波文庫版のあとがきに大江健三郎がこの先を予想する文章を書いていますが、これが面白いです。あの温泉郷が黄泉の国だというのはなるほど、その通りです。東京で+であった価値が、温泉郷では−に転じる。小林がきっとこの温泉郷にもやってきて、+の価値を帯びる活躍をするという。面白い。断絶していても、ここまで楽しめる『明暗』はやはり普通の小説ではありません。