内部からの視点

 佐藤優氏が、外交官としてソ連の崩壊前後の出来事を内部から報告したリポートです。歴史の教科書の知識しかない私には知らないこと、誤解していることがたくさんあったと思いました。佐藤氏が宗教を専門としている関係で宗教の話がたくさん出てきますが、政治と宗教が特に密接に関わり合っていることを改めて確認しました。この辺の事情は戦後の日本に生まれ育った人間としては肌感覚としては理解しにくいところです。また、ソ連崩壊の原因ともいうべき民族問題について、「民族」という枠組みそのものが新しくつくり出された幻想であるというのは、今から見るとわかりにくい部分があります。これはやはりフーコーなどが言っている、自明と思われていて、はるか昔からあるように思われていることが、実は最近つくられた常識に過ぎないということを示す好例だと思います。
 筆者がモスクワ大学で教鞭を執り、学生達と親密なつきあいをする様子が多く出てきます。筆者の該博な知識と、バイタリティに驚きます。外交官として勤務しながら大学の授業の講義をし、学生のアルバイトの世話をしたり、議論を楽しんだりしている。基本的に人が好きな人間だなと思わされます。それ以外にも人脈作り(佐藤氏はどこまでが人脈作りなのか、興味関心からなのか判然としない。おそらく両方だろう)を日々行い、普通の日本人が手に入れることのできない情報を手に入れたり、会えない人に会ったりしています。そういうことが結果的に佐藤氏を外務省から追い出していく要因になるのですが(それは筆者自身が指摘しています)。
 ロシア人がマルクスを理解したことは一度もなかったと多くの知識人が言っているのは興味深いことです。私自身マルクスをちゃんと理解できているわけではないので、「なるほど」と言える基盤はないのですが、ありそうなことだと思いました。それは日本の学生運動の時代にマルクスを読んだ人間がいたのかということと規模は違うながらも同じような感覚を持つからです。
 ソ連社会主義国だから宗教は禁止だというのも、表向きはそうであっても広いソ連の中ではかなり地域差があることや、イスラム教との対立を望まないソ連イスラム教に対してはだいぶ寛容だったというようなことが詳しく書かれていて興味深いです。
 ソ連体制後のロシアについて、知識人達が様々な予測を立てて考えていることが、これからの日本を考えるヒントにもなりそうです。たとえば、社会的格差是正に関して「国家機能による経済格差是正と社会秩序の維持が政治の基本目標に据えられるとどういう政治体制になるだろうか。想像してみて欲しい……ファシズムだ。」「佐藤さん、ナチズムとファシズムは別のものです。私が言っているのはイタリアでムッソリーニが展開したファシズムです。国家神話を形成して、それに対して国民を動員する。要するに『ロシアのために一生懸命努力している者が真のロシア人だ』というスローガンで、国民を束ねていこうとします」
 ソ連自壊のシナリオとして佐藤氏がまとめていること。「マルクス主義に民族政策はなかったこと。レーニンスターリンの思想は、民族問題を含め、連続性が高いこと。ヨーロッパにおける社会主義革命の展望がなくなったため、ボリシェビキ中央アジアコーカサスムスリムイスラーム教徒)を味方につけ、そのためにマルクス主義イスラームの奇妙な融合が生じたこと。二級のエリートが、支配権を握るために、ナショナリズム・カードを弄ぶという一般的な傾向があること。そして、このカードは、社会・経済情勢が不安定なときには大きな効果をあげること。」
 本書を読んで、最近の日本への挑発的な国境侵犯の問題を考えると、かなり今はおそろしい(面白い?)時代だと改めて思います。二級のエリートというのは、安定の時代には決して指導的地位に就けなかった人たちのことです。幕末にはそんな人たちが次々とトップクラスに登用され、藩政改革が行われ、結局江戸幕府そのものが自壊してしまったのでした。現代はどうでしょうか。国家の中枢は地方のコントロールをできなくなりつつあります。ナショナリズムの扇動者、カリスマ的な成り上がり者が出れば、国が大きく変わる土壌はもうできています。ちなみに、ロシアが再び強大な影響力を持つ国になることは、ソ連崩壊前から予測されてしました。現在のシリア情勢などを見ると、冷戦構造が復活したかのようです。超大国アメリカの一国主義は陰りを見せ、中国の躍進もしばらくは続くでしょうけれど、やや鈍化し、ロシアがだんだんとかつての力を取り戻しつつあるようです。その要因をソ連崩壊前後に学生として本気で国のために学問を積んだ人たちに求めています。思えば、日本が明治維新の頃どれだけ一生懸命勉強したかは様々な文献から推測できます。幕府がまだ生きていた時代には処刑されるのを覚悟で学問をした人たちがいたのです。
 筆者は本書を日本の大学生に是非読んでもらいたいと言っています。さて、日本の大学生は次の時代の主役になれるでしょうか。