たかが服とは言えない。
- 作者: 鷲田清一
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2005/01/01
- メディア: 文庫
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人間は自分の身体を自分で見ることができない。したがって全体像を自分の目で確認できない。服を着るその肌感覚によって自分の輪郭を確認し、初めて自分の全体像を把握する。服による人間の存在確認という視点がおもしろい。
思春期に入りかけた子どもが制服を着崩すことから自己確認をするのだという指摘はその通りだと思います。自分を理解するために既存の価値やシステムに抵抗するのが思春期ですから。ところで、制服の期限がフランス革命時の平民服から始まっているというのも初めて知りました。奢侈な服装をしていた貴族に抵抗する真面目で慎み深い、自由の象徴としての平民服。その子孫が背広だというのですから、驚きです。不自由・無個性の象徴のように反転してしまっています。派手な貴族の服装が糾弾され、革命によって貴族が滅んだ後、その貴族的意匠は女性たちに引き継がれたという指摘も納得のできることです。確かに昔の絵などにフリフリのついた服を着た男性がたくさん描かれています。
後半に川久保玲・三宅一生・山本耀司の仕事の意味を著者なりに解釈しているところも大変興味深いです。私がファッションなどには疎いので少ししか読めていないと思いますが、そういうのが好きな人にはもっと面白いと思います。