タチソ

 昨日は「タチソ」に行ってきました。タチソとは高槻地下倉庫を表す暗号で、敗戦間近の日本軍が高槻に作った地下基地です。本来は軍司令部を作りたかったそうですが、飛行機工場が爆破されたため、急遽、タチソで戦闘機のエンジンを作ることになり、旋盤などが運び込まれたそうです。1945年8月20日稼働予定だった旋盤は、使われることなく敗戦を迎えました。タチソではたくさんの朝鮮人が働かされましたが2種類に分けられます。朝鮮半島で日本政府に土地を奪われ、やむなく日本に働きに来た人たち、もう一つは強制連行による人たちです。敗戦後、帰国事業で強制連行の人たちの多くは朝鮮半島に帰ったそうですが、前から日本に働きに来ていた人たちはすでに半島との地縁・血縁関係が切れており、帰るところもないのでそのまま高槻に定着しました。ところで、タチソ建設のために飯場にされていた土地は、元々日本軍が強制的に接収した土地で、敗戦後は地主に返されました。ところが、そこには帰る場所のない朝鮮人が住み着いていたので、そこで争いが起きました。朝鮮人達がその土地を買い取るという形で決着したのは今からほんの25年くらい前の話だそうです。そしてそれまで高槻市はその地域を不法占拠地として、公共事業から外していたため、朝鮮人達は井戸水で生活していたということです。ここにも日本政府の戦後処理の不十分さ、戦争責任放棄が見られます。

 入口はこんな感じです。いくつか入口はあります。貫通しているものもありますが、敗戦のため、途中で放棄されたものもあります。この山は現在私有地で、高槻市はわざわざ買い上げてまで戦跡を残すつもりはないらしく、風化が進んでいます。あと何年か後には入れなくなるかもしれません。


 中はこんな感じです。コウモリが住み着いています。犬だかタヌキだか分かりませんが、骨がありました。

 高槻市が立てた碑文。ここに太平洋戦争の評価を入れるよう要請したが、高槻市はびびって入れなかったそうです。