教養小説

一週間

一週間

 私はあまり熱心な井上作品の読者ではないけれど、『吉里吉里人』『東京セブンローズ』なんかは楽しんで読んだ記憶があります。今回の『一週間』もそうですが、井上作品は、勉強になることが多いです。特に言葉のことで、教えられる事が多いです。今回の舞台は敗戦後まもなくのシベリア、日本軍捕虜として抑留されていた小松修吉が、日本語の達者なロシア将校たちと様々なやりとりをするお話です。『東京セブンスローズ』では、やはり敗戦後の東京で、日本語の達者なアメリカ軍人を相手に、筆耕係の男が日本語ローマ字化に抵抗する話だったと記憶しています。
 ほとんどの場面が二人の会話で進んでいきます。この辺は「会話劇」風の仕立てで、読者は観客のようにしてふたりの会話を聞き、物語の筋を自分たちで作り上げながら、推理しながら追っていくわけです。
 『一週間』を読みながら、「教養小説」という言葉を思い出しました。昔、トーマス・マンの『魔の山』を苦労しながら読んだ記憶があります。あれもひたすら会話で進んでいくのですが、一人の発話が長い上に、いろいろな知識を引用しながら教養を読者に「植え付けて」くれるので、勉強になりました。井上作品はそれほど「教えてくれる」感じはありませんが、やはり勉強になります。加えて、さすがに劇作家だけあって、ユーモアを忘れない、というか全編にユーモアが漂っているのが魅力的です。さらに、これはユーモアと表裏一体だと思いますが、国家に対する風刺が効いています。ソビエト連邦だけでなく、大日本帝国に対しても、戦後の日本に対しても。こういう風にユーモアを漂わせながら、鋭く刺すような批判を展開できる人はそうはいないです。もう読めないと思うと残念です。9条の会の講演会だったかで、「にこにこ笑いながら、平和運動をする」みたいなことを言っていましたが、井上ひさしは作品で見事にそれを行っています。
 幕切れはあっけないくらい唐突ですが、単行本になる時には作者は亡くなっていましたから、生きていれば加筆されたのかどうか。妙な「エピローグ」なんかないあの終わり方がいいのかもしれません。