日本の知性

翻訳と日本の近代 (岩波新書)

翻訳と日本の近代 (岩波新書)

 丸山真男加藤周一という日本の最高の知性が対談する、翻訳にまつわるお話。対談なのですらすら読めます。
 日本は近代化の過程で翻訳による、西欧文化の摂取を選択する。なぜ翻訳だったのか、また何が翻訳されたのか、さらにどのように翻訳されたのかを問う。日本語を捨てて英語を公用語にしてしまおうという意見もあったらしいが、それではエリート層と民衆層で使う言語が分かれてしまい、意思疎通ができにくくなってしまう。長期的に見て取るべきではないと考えた。実際インドでは、国内で誰にでも通じる共通する言語は存在しないそうで、それが社会問題となっているそうだ。また、なぜ日本は西欧の思想をあんなに早く摂取することができたかという点では、お隣の中国はアヘン戦争でイギリスに負けているのに、西欧の文化を摂取しなければという危機感がなかったのに、日本は薩摩や長州のような明治維新を推進した雄藩が早々に西欧の力を思い知り、攘夷から開国へと転じてしまう。そこに中国の「中華思想」と日本の変わり身の早さを指摘している。留学生を派遣するのも中国よりも早い。また、日本がとても幸運だったことを挙げている。アメリカは南北戦争、イギリス・フランス・ロシアがクリミヤ戦争で日本どころではなかった。その間に西欧文明を摂取する時間をかせげた。
 なぜ翻訳かという問いに答えるために近世の文化の解説にかなりの紙数を割いている。日本は中国語を漢文書き下し文として日本語に「翻訳」して受け入れてきた。その中国の思想や文化が日本に浸透して変化し、さらに深められて江戸の思想や文化を創り上げていった。そういう土壌があり、高い識字率や知性の高さなどもあり、翻訳によって西欧を知るという方向になった。
 翻訳された本は実用的なものだけではなく、歴史書なども多く、それが当時の知識人の見識の高さとして賞賛されている。西洋の文明がどこから生まれて、どのように発展していったのか、それらを根源から知ろうという意識があるからだ。また、美学のような直接政治には関わりのないことも熱心に訳している。
 翻訳の方法については、当時広く読まれた『万国公法』を例に挙げながら、具体的に論じている。これは中国語からの重訳だが、当時の翻訳の苦労が偲ばれる上、とてつもなく賢い人たちがあの時代には輩出していたのだと分かる。また、多くの翻訳後も作った福沢諭吉のことが多く語られている。彼の幅広く先を読む洞察力、もっと福沢のことは現代でも学ばれてよい。一万円札の顔とだけありがたがっている場合ではない。
 新書という薄い本ながら、実に学ぶことが多い本です。引用されている本や人物についてまったく知識がないことに絶望的な気分になりますが、日本最高の知識人です、当たり前かもしれません。ここに引用されている本を少しずつでも読み進めればちょっとは賢くなれるかもしれません。
 あとがきで加藤周一がこう言っている。翻訳によって日本は近代化を成し遂げたが、翻訳は一方通行であり、両面通行になるためには日本語から外国語への逆翻訳が行われるか、共通語がなければならないが、逆翻訳はほとんど行われず、たとえばラテン語のような共通語はなかった。一方通行は文化的な孤立である。日本は戦前は軍事力で、戦後は経済力で自己主張してきた。しかし、コミュニケーションのない自己主張はうまくいかない。今、英語が共通語として君臨しつつある。翻訳主義のマイナス面、文化の一方通行現象の問題を現代の日本は突きつけられていると。